山口県立下関工科高等学校同窓会
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会長挨拶
 
会長挨拶
 
 暑く長い夏の季節が終り、爽やかな秋の風が感じられる今日、山口県立下関工業高等学校、第三十二回同窓会総会開催に、先輩・同僚・後輩が全国各地より相集い、盛大に開催されますこと、誠にありがたく心から喜びを感じる所であります。
 時の過ぎゆくのが、年々早くなると思うのは私だけでしょうか。前回総会の年に、東日本大震災、大津波、原発事故が発生しまして早や二年半が過ぎました。被災地の復旧・復興は遅々として進まず、被災された多くの人達は、今も厳しい 現状のなかで生活をしいられています。また円高・デフレ不況の流れは止まらず、その為日本の製造業は、海外に生産拠点を求め進出したり、海外より部品や製品の調達を拡大しております。この結果、国内の工場数は減少・廃止へ向い、就職状況も厳しくなり地方の経済は、益々弱くなってしまった。
 しかし昨年五月に、東京スカイツリーがオープンし話題を集めましたが、七月にはロンドン五輪での日本選手の活躍で日本中が沸き上がり一東京・銀座でのメダリストパレードで最高潮に達しました。いま思えば、暗い日本が明るくなっていく予兆だったのかも知れません。
 そして年瀬、政権が交代し下関出身の安倍総理誕生を見ることになりました。政策「三本の矢」を打ち出すと「アベノミクス」と呼ばれ、日本銀行の政策転換と相成って、円高が円安に株安が株高へと劇的に変ったことは記憶に新しいとこです。その後の御活躍は、久しく忘れていた「世界の中の日本」を思い起させ、日本の果す役割と責任を改めて考えさせることになりました。
 更に輪を掛けて明るい日本、世界の日本にしたのが、IOCロゲ会長の「トウキョ」の発表で、二〇二〇年東京オリンピツクの開催決定でした。立て割りでなくオールジャパンで、日本と日本人のことを世界中の人達に語りかけた招致委員のスピーチに、沢山の日本人が感動したのではないでしょうか。
 それは古来より育まれ、日本人が持っている自然への崇拝と調和や東日本大震災後に、被災者の方々がとった秩序であり、人に優しい行動や考え方が理解された気がしました。
 二〇二〇年東京オリンピツクは、七年後の近未来で大きな目標を日本は与えられたのです。これからの日本は、人類が必要とするソフトとシステムや科学と文化等が、今まで以上にスピードアップして、大きな変化と進化を促し、世界に貢献できると信じています。
 過去二十世紀後半に、「二十一世紀は日本の時代」と叫ばれた項がありました。オリンピツク招致の決定で、本当に正夢になればいいと思います。
 さて、我々同窓生の中にも大きな目標(夢)を掲げて、映画監督になった男がいます。
 その夢とは、アメリカの資本(お金)で映画を製作して、ハリウッドでオスカー賞をとり、チヤイニーズシアターの柱に名を刻むことだそうです。
 すでに同窓生の皆様は、ご承知と思いますが、三年後(平成二十八年)の四月一日に、下関工業高校と下関中央工業高校が統合した、新しい工業高校が誕生します。新しい校名や科は決定していませんが、平成二十七年七月頃には決定すると聞いています。同窓会の在り方も今後、適宜決めて行くことになりますが、平成二十八年四月には、関工・中央工両校に二年生・三年生が在校しています。今後の同窓会総会は、二回(平成二十七年・平成二十九年)を残すのみとなります。 五年後(平成三十年)の四月一日は、全ての生徒が新工業高校生となります。
 三年後・五年後・七年後と未来の予定をのべて参りましたが、出来れば七年後の東京オリンピツクに、関工同窓生や新工業高校の生徒が出場している夢を、持ち続けたいと思います。
 今年の総会実行委員は、前回以上に厳しい状況のもとでの準備で、実行委員会の皆様の苦労と努力に敬意と感謝を申し上げます。
 終わりに母校の限りない発展と同窓生の皆様の御活躍と御健勝をお祈りし、総会のご挨拶といたします。
関工同窓会 会長 古田賢造